■桐壺(きりつぼ)

 後宮にたくさんの妃がいるなかで、帝の寵愛を一身に集めているのは桐壺の更衣(きりつぼのこうい)と呼ばれる女性だった。
 桐壺の更衣は大納言(だいなごん)を父に持ち、母親も由緒ある家柄の出自なので、血筋はいやしい身分ではなかったが、御所へあがる前に父親が亡くなっていたため、更衣は後ろ楯のない心細い存在だった。そんな頼り無い立場の娘が帝の愛を独占しているので、権勢家の右大臣家から後宮にあがった弘徽殿の女御(こきでんのにょうご)を筆頭に、他の妃たちは、桐壺の更衣が妬ましく、又、目障りだと感じていた。家臣の間でも、帝が桐壺の更衣にのめり込む様子を不服に思う気配があり、世間でも玄宗天皇が楊貴妃の色香に惑わされ国を傾けた例を上げるなどして帝の態度に眉をひそめていた。

 誰からも歓迎されない帝からの愛に、桐壺の更衣は肩身の狭い生活を送っていたが、あるとき玉のように美しい男御子を出産する。しかし、この男御子を儲けたことで、桐壺の更衣への風当たりは増々強まり、宮中でのいじめもエスカレートしていく。心を病んだ桐壺の更衣は、それでも帝の愛を頼りに過ごしていたが、男御子が3才になる年にとうとう亡くなってしまった。

 最愛の人に先立たれた帝の悲しみは深く、政にも支障をきたすほどである。帝は母方の里で養育されていた桐壺の更衣の忘れ形見を、更衣の母君が亡くなったのをきっかけに手許へ引き取った。久しぶりに対面した男御子は6才になっていた。前よりもひときわ美しく成長しており、帝は更衣の代わりに慈しむ。この男御子は美しいだけでなく大変利発で、琴や笛などの芸術にも秀でていたので、桐壺の更衣と敵対していた後宮の妃たちからも可愛がられ、宮中のアイドル的存在になっていく。帝は弘徽殿の女御が産んだ長男より、次男坊である男御子の方が次期東宮に相応しいのではないかと密かに考えていたが、高麗より来朝していた高名な観相師に人相を占わせた所、「男御子は国の親となる相を持っているがそうなると国が乱れる」という結果が出たため、男御子を親王の位にはつけず、源(みなもと)の姓を与え臣籍へ下す決意をし、以後、男御子は源氏の君となった。

 何年経っても桐壺の更衣を忘れられない帝は、周囲からのすすめもあって、桐壺の更衣と面ざしが似ているという先帝の四の君を後宮へ迎える事となった。彼女は藤壷の御殿に部屋を頂いたので、藤壷の女御(ふじつぼのにょうご)と呼ばれる。父帝にともない度々藤壷の御殿を訪ねるようになった源氏の君は、亡くなった母親を慕うように藤壷へ心を惹かれていった。仲の良い藤壷の女御と源氏の君を知る人々は、藤壷を「かがやく日の宮」源氏の君を「光る君」と称して世にもまたとない美しさを誉め讃えた。

 源氏の君は12才の年に元服し、左大臣家の姫君--葵の上と結婚した。葵の上は、左大臣の正妻が産んだ由緒正しい姫君である。しかし、この結婚はうまくいかない。葵の上は器量が良く、又、大切に育てられた姫君だと源氏の君も思うのだが、彼の心は義理の母親である藤壷の女御へと向かっているのだった。


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