| 雍和宮〜孔子廟/国子監北京の半日観光コース 友達と一緒に、久しぶりに半日コースの観光をしてきました。雍和宮、孔子廟、国子監と隣接しているそんなところを楽しみました。かつては北京城の北のはずれに位置していたこれらの場所も、今は北京の中心地の一部です。 ここに孔子廟、国子監が置かれたのは元の時代のことです。「左廟右学」という古代の制度にのっとり孔子廟と国子監は隣り合わせにあります。孔子廟は孔子を祭った廟であり、国子監はかつて太学ともいった元明清時代の最高学府です。現在は、孔子廟は首都博物館となり北京の歴史を簡単に学ぶことの出来る場所となっています。そして国子監は首都図書館として利用されています。国子監街には北京で唯一牌楼が残され、庶民の生活の匂いが残る胡同とはちょっと違った雰囲気を醸し出しています。西に向かって歩いていくと「下馬碑」があり、ここからは馬から下りて歩かなくてはなりません。「下馬碑」がほかに残っているのは十三陵の「石碑坊」のところでしょうか。孔子廟の影壁(目隠しの塀)はほとんど国子監街をはさんだ向かいの建物の一部と化していて気をつけなければ、それが孔子廟の影壁だとはわからないかもしれません。 中に入ると、ひなびた建物が並んでいます。曲阜の孔子廟に次ぐ規模の孔子廟といわれていますが、その姿はちょっとさびしくもあります。時間の流れを感じるのにはよい場所ですが。瑠璃瓦の間からはぺんぺん草が生え、赤く塗られた柱は塗りがはがれ、補修がなされた観光地のあれやこれやの建物を見慣れた目には新鮮に映ります。 このへんで国子監に足を伸ばしてみましょう。図書館のため展示室以外は無料です。本を借りに来た子供たちの姿も見受けられ、雰囲気が和やかです。それに、まだ使われている建物の暖かさが感じられます。 国子監街に出て、またこの道を東に戻ります。お線香や仏像を売るお店が建ち並ぶ雍和宮大街を横切るとそこが雍和宮です。中国でも有数のラマ教寺院で、かつては親王府でした。雍の字を見てお分かりのようにここはかつて雍正帝が親王だったころに住んでいた王府です。のちに皇帝になった親王が住んでいた館は「潜龍の地」といわれ、寺院などにされます。そのため、雍正帝が帝位についたあと寺院と行宮になり、「雍和宮」という名前になりました。そのあとこの王府で生まれた乾隆帝が即位するとラマ教寺院に作り変えられ、ラマ教の教務の中心地となりました。 ここには乾隆帝の産湯のたらいが置いてあります。彫りの豪華な、まさか産湯のたらいだとは想像がつかないもので、説明もないもなく、今はお賽銭に埋もれています。かつては乾隆帝博物館と異名をとるほど乾隆帝の私用のものが下賜され保存されていたといいます。(その多くは火災などで焼失したそうです) 雍和宮の本尊は一本の白檀の木に彫られた弥勒仏です。一本の木で彫られた像としては世界最大のものとかでギネスブックにも登録されています。(ラマ教寺院とギネスブック……?)ちなみに仏像の高さは、地上部分18m、地下に埋まった部分8mとかで28mだそうです。ダライラマ七世から乾隆帝へ贈られたこの白檀の大木。産地はネパールだそうで、どのように運ばれたのかそちらのほうに興味があります。この弥勒仏がまつられている建物だけは、なんとなく好い香りがする気がするのですが、それは気のせいでしょうか? 雍和宮は班禅喇嘛の写真が飾られていたり、ラマ僧の姿が多く見受けられ、生きた寺院という感じがします。漢字、満州文字、モンゴル文字、そしてチベット文字が並んだ額。また、砂の曼荼羅などチベットを疑似体験できる雰囲気があります。 以上、ちょっとしたコースをご案内しましたが、私の一押しの半日観光コースです。 |
| 追記:進士題名碑の部分、元の科挙が初めて行われた年と進士題名碑の最初の年のものを混同して年代を書いていたことを、もりた先生にご指摘いただきました。 元の科挙がはじめて行われたのが、皇慶二年1313年 進士題名碑の一番古いものは至正十一年1351年に訂正致します。 2001/9/10 |
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