| 王府井の古井戸発見とその後日談 1.王府井の古井戸発見
王府井は北京の銀座として皆さんもご存知だと思いますが、昨年(1998年)、再開発の手が入り、近代的なストリートに変わろうとしています。そこで、なんと、王府井の地名の由来となった井戸が見つかりました。
昨年王府井の再開発工事が始まりました。工事が始まってしばらくたった10月に古井戸が発見され、その井戸こそ名前の由来になった王府井だというのです。
当初、東城区の文物部門は民国時代のものとして片づけてしまいました。ところが市政協の李氏が、その井戸が王府井の「井」ではないかということに気がつき、文物保護をするように提案したということです。最終的に東城区の文物部門も李氏と同じ結論に達したようです。
なぜ、その古井戸が、あっさり民国期のものとされてしまったかには理由があります。いまで名前の由来になった井戸についての定説がありませんでした。有力なものはいくつかあったのですが、どれも今回発見されたものとはまったく違う場所にあります。そのため誰も気がつかなかったとしてもしかたがなかったのです。
「現在の王府井大街南の西側、つまり東安市場の北よりの西門の向かいの歩道より少々北、大体今の益民食品店の入り口前」にその井戸があったという説を唱えていたのは、社会科学院の姜先生です。「七百年来的王府井」という論文のなかでもそのことについて触れていて、それに気がついたのが前述の李氏。そして今回井戸は「元の原益民食品店、現在の碧春茶荘から北に7mの歩道の上」というまさにその場所で発見されたのでした。
姜先生は『乾隆京城全圖』からそれを推測したようです。その地図は清の乾隆帝時代の北京の地図です。その地図には、井戸を示す印が、今回井戸が発見されたちょうどその場所に書いてあるのです。気に留めなければ、見逃しそうな印だそうです。さて、数カ所の井戸がこの近くにありながら、なぜこの井戸、『乾隆京城全圖』という地図にちょっと載っているだけのその井戸を王府井の名前の井戸と姜先生が言うのでしょうか。
「王府」というその名前にヒントがあります。明代の地図を見てみますと、東安市場のある場所に明の時代には王府があったことが分かります。物の本によりますと「永楽十五年六月、於東安門下東南、建十王邸、通屋為八千三百五十楹」、「明建十王邸於此、稱王府街」と書いてあります。つまり、永楽帝の北京遷都のときにこの地に十親王の館がおかれ、そのためこの地は王府街と呼ばれるようになったということです。その王府の前の井戸なのでこの井戸が「王府井」の井戸ということになるわけです。
というわけで、李氏は北京市政協に対しこの井戸の保存を求めているそうです。王府井大街という名前ですが、「王府大街」が正式の名前だったのでしょう。清朝末期に書かれた「京師坊巷志稿」では「王府大街」となっています。いつ頃から「王府井大街」といわれるようになったのかについては調べがつきませんでした。元の時代の名前は「丁字街」。その名前の由来も残念ながら今回はお預け。また調べてみます。
「永楽十五年六月、於東安門下東南、建十王邸、通屋為八千三百五十楹」と書きましたが、その場所は、東・校尉胡同、西・王府井大街、北・金魚胡同、南・帥府園胡同に囲まれた一画です。(北京市の地図お持ちでしたら、ご確認ください)明代にはここに王府が集中していました。また諸王館、公主府もこの王府地区に隣接した場所です。清代、この土地は満州八旗の練兵場となり、そのころから近くに市が立ちはじめたといいます。(残念ながらこの記述は中国の文献では見つけることができませんでした)。清朝末期になり、大使館街が近かったことから高級商店が軒を並べるようになり、それが現在の王府井の原形となりました。
ちなみに清の時代、王府は、内城という今の長安街から北、二環路に囲まれた地域に散在していました。特に四大王府が有名で、現在「恭王府」「醇王府(宋慶齢故居)」の参観が可能です。
この井戸ですが、残念ながら、見学することができません。埋めなおされてしまいましたが、もし詳しい場所を知りたければ、碧春茶荘の店員さんが、親切に教えてくれると思います。
参考文献
99年1月9日 「這児就是王府井」 北京晨報
北京歴史地図集 侯仁之 北京出版社
日下舊聞 北京古籍出版社
燕都双書 北京戸籍出版社
京師五城坊巷胡同集・京師坊巷志稿 北京戸籍出版社
北京生活地図冊 中国地図出版社
北京歴史散歩 竹中憲一 徳間書店
2.王府井の井戸 後日談
1999年9月13日

人が多かったため文字が転地逆転の写真になってしまいました。
写真をクリックすると修正した写真と
刻まれた文字の解説が見る事が出来ます。 |
なんと王府井の古井戸に、素敵な蓋が出来たようです。九匹の龍がデザインされている銅の蓋……といってもマンホールみたいなものですが……が前にお話した古井戸の蓋として出現しました。通行人の目を集めているということです。 蓋には、
「王府井は明中期の一つの古井戸から名前がつけられた云々」
という文字も彫られています。
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しかし、多くの人達の足にもまれ、古風なデザインで飾られた蓋は、すでに磨耗が始まっています。まだ、そんなに時間が経っていないのに……
もっとよい保護の仕方がないものか……と新聞も問題提起をしていました。
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