| 清明節に寄せて 4月5日は清明節。お墓参りの日です。地下鉄も3月下旬から清明節営業に入っています。八宝山にこの時期お参りに行く人が多いので地下鉄の地上の入り口でチケットを売ると新聞に出ていました。 76年周恩来の追悼集会が天安門事件を引き起こし、89年胡燿邦の追悼が2度目の天安門事件につながったことは記憶に新しいことです。この日は墓を清め、亡くなった人を追悼する日なのです。今でも覚えています。89年4月5日に私は天安門前広場の前を通りかかりました。友達の家に向かう途中でした。「今日は清明節で、人民英雄記念碑の前では胡燿邦の追悼集会が行われていましたよ」と報告したことを覚えています。まさかそのとき、その2ヶ月後にあのような事件が起きるとは思っても見ませんでした。あれから10年です。 清明節は4月5日か6日、その前日を「寒食」というのですが、この由来は春秋の時代にまでさかのぼります。『春秋時代、晋の文公は諸国を放浪し、臣下の介子推に助けられることが多かった。しかし文公は帰国してからそれに酬いることがなかったので介子推は悲憤のあまり、老母とともに山中に隠れた。文公は彼を探し出そうと林を焼いたところ、介子推は木を抱いて焼死した。後の人がこれを憐れみ、また大火を恐れて、この日一切の火の気を絶ったという。』そのため、この日は火が使えず、冷たいものを食べる「寒食」というわけです。「寒食上墓」は唐の玄宗帝の時代に法令で定められました。多分その前からその習慣はあったのではないでしょうか。 七十二候では、「桐始華」、桐の花が咲き始めるころです。日常の生活に追われ、自然を楽しむ余裕などありませんでしたが、ふと気がつけば、花々があちらこちらでかわいい姿を見せています。だいぶ前に咲き始めた木蓮も連翹も今が盛りのような気がします。そういえば、日向の桜が花をつけていました。日本の東北よりずっと早いですね。 清明前後が「春游」のシーズンです。昔は「踏青」とも言いました。何かの本に「春游は元宵節後に始まり云々」と書かれていた記憶があるのですが、その元本を探すことが出来ませんでした。 それはともかく、元宵の後から春游が始まるのでは、ちょっと寒すぎますね。南方ではそうではないのかもしれませんが、北京を基準にしたのではちょっと寒すぎます。「数九」の数え歌には「九九八十一家里做飯地里吃」とでていますから太陽暦の3月上旬になってやっと春游の季節という気がします。遠足というよりは、お花見という雰囲気のほうが強いような気がするのは、私だけでしょうか? ある本では『清明戴柳』が清明節に柳狩りと訳されていました。お墓参りのあとやわらかい柳の枝とをって帰り、いろいろな形に編んで髪に挿したといいます。柳は「毒よけ」のおまじないです。 この時期、香山の臥仏寺、紫竹園、玉淵潭によく遊びにいきました。円明園も頤和園もいろいろな花が咲き誇ってとても素敵な時期になりつつありますね。家にばかりこもっていないで、ちょっとどこかに出かけようかなぁという気にもなってきます。 というわけで、4月5日に寄せて清明節と桐始華についてお届けしました。 蛇足: 「清明刮了墳上土、大風刮到四十五」と言う言葉があります。「清明節に大風が吹けば、45日間風が吹く」と言う意味だそうです。さて今年の清明節の天気はどうでしょうか? 1999年4月3日 |
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