時代は金の時代にさかのぼります。金の時代の末期、北京の西・「門頭溝」あたりで産出される石炭の輸送に使われるようになったのが始まりです。中国において、重いものの輸送は駱駝と言うのが常識だったようで、石炭を運ぶ役目も駱駝が担うことになったようです。その後、材木などを運ぶようにもなりますが、駱駝を養っている人はその後も門頭溝に集中していました。(それ以外に北京の南、大灰廠のあたり)。 それ以降、元・明・清の時代と、北京近郊では駱駝が主なる輸送手段だったようです。近年流行の「老照片(旧い写真)」でも駱駝の隊伍や駱駝の隊伍が休息をとっている姿を見る事が出来ます。 その駱駝も、万能ではなかったようで、一年の中で夏のみは、駱駝が病気をしやすく、輸送には使われなかったといいます。 民国初期になると駱駝の隊伍が交通を阻害し始め、警察庁は「(駱駝)3頭を一隊伍とする。それらが連なる事を禁止する」と規定します。そして、鉄道が敷かれ、石炭輸送の手段が貨物列車に取って代わられるようになり、駱駝の姿が次第に北京城内から姿を消す事になります。 それでも40年代までは城内で駱駝を見かけることがあったといいますが、現在では動物園、そして万里の長城の記念撮影場所でしかその姿を見る事が出来なくなりました。 こんな詩が残っています。
2000/02/01 |
上のCGは駱駝企画の駱駝さんの作品です。
無断転載を禁じます。
|
|